機内に拍手が起きた。ごく自然なふるまいとして、呼吸するように。そしてそれはこの旅が結末を迎えることの証だった。
修学旅行の始まりもまた困難からだった。思いがけない1892便の欠航、それによるさるびあ丸での上京は、今にして思えばこの旅が特別なものになることを暗示していたかのよう。たっぷり時間をかけて旅行を意義のあるものにしようという想いと連帯を醸成していくことができた。飛行機による移動では見ることのできなかった黒潮の海やダイナミックな東京湾の風景、巧まずして夜闇に描かれた夜景など、広島や京都で視覚による情報吸収を最大限に働かすためのウォーミング・アップもできた。そうして訪れた見学先では、これまた意図しなかった外国人観光客や修学旅行の学生の多さにはじめはたじろいだものの、柔らかな心に捉えるべき本質を真摯に記すことに成功した。集団としての成長も期待以上のものがあった。課題に直面しても自分の役割を自覚して力を発揮する場面が時間の経過とともに増えた。トラブルを楽しむ…というより、トラブルによるマイナスより多くのプラスを獲得してやろうという意気が旅行中の空気にあった。解散式の締めの言葉に「名残り惜しいけれど…」とあってみんな苦笑いしていたけれど、あれだけ長い時間、つねに考え、自律的に行動してきた疲れにもかかわらずこの言葉を認めることができたのは、充実した時間を感じてくれたからだろう。
2便欠航、振り替えた3便は視界不良で着陸の保証はない。もしかしたら東京に戻ってまた船?それでも彼らにはもはや不安はない。着陸した際の拍手は帰島した安堵よりもむしろ、一つのロードムービーの完結とキャストたちが互いに送る賛美の拍手だった…そう思う。
石井 謙次